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本門寺とは

仏教の最高峰の教と讃えられる「妙法蓮華経」は、日蓮大聖人の『観心本尊抄』に「像法の中末、観音・薬王・南岳・天台等と示現し出現して迹門を以って面と為し、本門を以って裏と為して、」と示しているように法華の本門は、法華経に「是時其父」と示されている、我レ慈父の如来・日蓮大聖人に依って初めて開かれましたが大聖人は『本尊抄』に「事(本門)行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊、未だ広く之を行ぜず。所詮、円(本門)機有って円(本門)時無き故なり。」と申され円時を「如来滅後五五百歳始観心本尊」と予言され、文永11年(1274)11月御図顕の「控字大本尊」を法華経如来寿量品の次第に随って弘安2年10月12日、日蓮が魂魄『本因妙大本尊』として造立されると共に同日は日目聖人の従兄で熱原法難で法華の行者を護って生害した小野寺弥四郎国重の七七忌に当り、その供養の為の大漫荼羅を書写され、 その讃文として弥四郎国重の行為を涅槃経の有徳王に擬えて本門戒壇の願主と位置づけし、その供養大漫荼羅も造立されました。
弘安5年(1282)10月、御滅時に先立って迹化付属として「本弟子六人」を定めその序列を不次第となし別付属として小野寺五郎日目に日蓮が魂魄として、弘安2年10月12日造立された「本門の本尊(本因妙大本尊)」を信託し交名を蓮藏房と授けられました。
それ故に日目聖人は日蓮大聖人の御遺命に随って法華の本門の認可及び本門戒壇の許可を得るべく東奔西走され小野寺左衛門大夫道継の援けのもと幕府に訴え永仁六年(1298)鎌倉殿中に於ける十宗房との対論が許され法論に勝って鎌倉将軍久朝親王より「御教書」を賜り、次いで元亨2年(1322)後醍醐天皇の朝廷に上表し吉田大蔵卿冬方卿より「先例に任せ被べし」の綸旨を給わり、日目聖人は回答に不足を感じ再度、上表を提出した所、「法華本門の事先規に任せ官領の由聖断の処、用い敍ず、勅裁に濫妨致すの狀条・事実ならば甚だ以て然るべからず云々」の下知を日目聖人は受けて嘉暦2年(1327)12月再々度、上表を認め上洛し翌3年11月21日「本門の寺は勅願所」として後醍醐天皇より認められた綸旨を万里小路左中弁秀房卿より給わり日目聖人は権律師に任じられ富士大石ヶ原所在の法華大坊(通称大石寺)は本門寺と称される事になったのであります。
故に日興上人は大聖人筆の大漫荼羅に「大本門寺重宝」と添書され、聖筆漫荼羅8幅程現存し他に数幅現存した事が知られています。

 

 

富士山本門寺

■開  祖  日蓮大聖人

■創  建  鎌倉期 正応元戌子年(1288)

■寺号認可  後醍醐天皇御宇 嘉暦3年戌辰(1328 )

■開   山  千福阿闍梨 蓮藏坊日目上人

■開   基  後醍醐天皇

■本   尊  日蓮大聖人の魂魄「本因妙大本尊」弘安2年10月12日造立

■霊   宝  日蓮大聖人正身御影 伝日興上人造立

■宝   物  

・日蓮大聖人所持  釈迦立像
・日蓮大聖人 文永10年2月筆紺紙金泥 妙法蓮経8巻
・日蓮大聖人  筆 愛染・不動明王感見2幅 日目上人相伝
・日蓮大聖人持用 笠
・日蓮大聖人より日目上人に対する切紙相承、日目上人・日道上人及び本門寺歴代上人筆文献
・日目上人御影 本門寺伝来古画を複写
・小野寺中務丞重房字治川出陣の図 土佐光起筆
・後醍醐天皇 綸旨(下し文)日目上人宛三通
・後醍醐天皇 元弘3年5月本門寺宛宸翰2通
・日目上人筆 申狀(園城寺申狀と称される。)
・後醍醐天皇 下賜 紫小袖
・後醍醐天皇 下賜 本門寺勅願
・後醍醐天皇 宸翰 妙法蓮華経第6巻
・本門寺 灌帳幡

現所在地  神奈川県横浜市戸塚区小雀町1260(旧鎌倉)