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本門寺年表

西暦 月日 事 項
1222 2月16日 日蓮大聖人 安房国に誕生
1233 山城国宇治に小野寺妙覚道元が為に興聖寺を創す。
1239 2月22日 後鳥羽上皇 隠岐に崩ず60才
1242 1月20日 後嵯峨天皇即位
1254 6月25日 大聖人、不動・愛染感見記を著し、日蓮と名乗る
1258 2月14日 大聖人、一代聖教大意を著す
1259 11月26日 亀山天皇即位・大聖人、守護国家論を著す
1260 7月 大聖人、立正安国論著す・日目上人誕生
1261 5月12日 大聖人、伊豆に配流(伊東氏伝来釈迦立像を受く),新田小野寺重房入信
1263 2月22日 大聖人、伊豆流罪赦免あり鎌倉に戻る。春、日目祖父重房卒去
1264 7月 日目父新田五郎重綱卒
1265 大聖人、薬王品得意抄を著す
1266 1月6日 大聖人、法華題目抄を著す
1268 1月18日 蒙古国牒狀鎌倉に到着
2月7日 幕府蒙古・高麗の牒を奏す。時宗蒙古の使いを退く。
9月 蒙古重て牒
1月 蒙古船対馬に来る。
9月12日 竜口法難
9月23日 蒙古来る(3度目)
10月23日 朝廷蒙古の牒を議す。
11月1日 塚原配所入
11月13日 両日並び出ず
1272 2月 開目抄著す。後嵯峨法皇崩御53才
5月 高麗の使、元の牒を携えて来る
1273 2月 大聖人、紺紙金泥妙法蓮華経書経
3月 元使 大宰府に来る
4月25日 大聖人、如来滅後五五百歳始観心本尊抄を著す
1274 1月23日 二つの日出現
2月5日 二つの明星出現
5月24日 大聖人、法花取要抄成る。
10月5日 蒙古襲来・聖人知三世事を著す。
12月 大聖人、控字大本尊御図顕
1275 4月 蒙古の使者 長門室津に至り鎌倉に召す
6月10日 大聖人、撰時抄を著す
9月 蒙古使者を竜口に斬る
1276 4月 日目走湯山にて日興に会う
1277 日目身延にて「五戒口決伝授」を書写
1277 5月15日 大聖人より日目「にいた殿の事まことにてや候らん」の評を受ける
1279 2月 釈子日目として大聖人より大漫荼羅を受く
7月 幕府元使を博多に斬る
8月 日目従兄、小野寺弥四郎国重・日秀に擬されて斬らる
10月12日 本門戒壇奉安置の本因妙大本尊を造立、国重七七忌を以って本門戒壇願主として併養大漫荼羅造立
1280 5月 新田小野寺四郎信綱大聖人より音信を受ける
9月 俗日目大漫荼羅を受ける
12月 大聖人、諌暁八幡抄を著す
1281 5月 蒙古襲来
6月20日 後宇多天皇宸翰勅令を山陸八ヶ所に異国降状を祈らしむ
7月1日 蒙古船大風に遭ひ難破
1282 9月8日 大聖人、身延下山
9月17日 日目大聖人の命を以って二階堂伊勢法印を論破す
9月18日 大聖人一行、池上入御
10月8日 大聖人、日目聖人へ本化付属(耳引法門)及び迹化付属(六高足)を定む
10月13日 大聖人、御遷化(61才)
1283 10月13日 大聖人、身延山に於て一周忌
1284 7月 元使対馬に来る
  10月13日 大聖人、3回忌
1285 11月 安達泰盛一族滅亡す
1287 10月13日 日目奥州一迫柳の目に法華堂造立
10月21日 伏見即位
1288 10月13日 大聖人、七回忌
11月 日目聖人一行、身延離山す
1289 日目聖人、富士大石ヶ原に法華道場を創る。
1295 3月 御眞蹟を以って日目「一代聖教大意」を写す。
1298 日目聖人、十宗房と鎌倉殿中に於て問答し勝利す
1299 将軍久明親王より御教書が日目上人に下される
1301 11月 蒙古の兵船厳島海辺に至る
1305 9月 亀山法皇崩御57才
1312 8月 日道上人父新田小野寺頼綱日善卒
1313 日目聖人母南条蓮阿尼卒
1322 2月9日 日目聖人の上奏に対して吉田大蔵卿定冬より綸旨が日目聖人に下される
1323 3月 再度日目聖人上表を提す
5月9日 吉田大蔵卿冬定より綸旨が下される
1324 9月 討幕事件正中の変
1328 4月 日目聖人上表を提す。嘉暦2年11月10日日目聖人日道師の遺跡を小野寺虎王麿と定め後、幸松に改める。
11月21日 日目聖人権律師に任ぜられ万里小路左中弁秀房より綸旨を下さる。
1329 7月27日 小野寺虎王麿 日興師より漫荼羅を受く。
1330 日興跡条々事成る
1331 8月 後醍醐天皇笠置に遷幸
1332 3月 後醍醐天皇隠岐に遷幸
1333 2月 富士大石ヶ原 法華談所、東大坊主日興師入滅88才
4月 足利尊氏入京し帰順す
5月 後醍醐天皇伯耆国船上山より富士大石ヶ原蓮藏西大坊に宸翰を送り本門寺寺号を認める。
6月 後醍醐天皇帰京する
11月 日目聖人、後醍醐天皇に上奏の為上洛の途中入滅74才
1335 10月 国体・政体対立により大石ヶ原本門寺西大坊(日道方)と談所東大坊(日郷方)は 対立。小野寺氏は正統皇統方。
これより元中9年後亀山天皇の後小松院に対する両党迭立を条件とした国譲までの57年間対立する。この間の事項を下記に示す。
12月 故、日目聖人、二位法印に敍され紫小袖と共に宗近造宝寿丸を後醍醐天皇より賜る。
1336 6月 足利尊氏光厳院を奉じ入京す
11月 足利尊氏幕府を開す
12月 後醍醐天皇吉野遷幸
1338 3月 保田坊地足利尊氏より安堵
5月 南条時綱 保田方に付く
1339 8月 後醍醐天皇崩御52才
1340 7月 日目聖人正墓、京都、鳥辺野に築かれる
1341 2月 日道上人(本門寺二代)寂59才
1345 3月 談所東大坊主、日郷、武府政体、光明院に奏上・下旨を受る
1392 10月 国体大覚寺皇統と政体持明院、両統迭立の約束の元に和睦
1404 5月 「御伝土代」著者、小野寺安房阿闍梨日実、日時師より大漫荼羅を受く
1412 元中9年10月の国体・政体和睦を以って富士天母山に本門戒壇院(上坊)を中心とした大本門寺完成。小野寺氏上坊の俗別当に任ぜらる
1424 後亀山天皇崩御77才
1428 7月 大本門寺成立後14年を経て政体の一方的違約に依り再度、国体と政体の抗争となり本門寺上坊(戒壇院)方は俗別当小野寺氏が、旧西大坊を復興し重宝の全てを「東台崖戸」に隠し込め、大聖人の予言に従い、代々管理して円時を待つ。
1991 旧鎌倉の有縁の地 横浜市戸塚区小雀町殿ヶ谷に本門寺を再興して現在に至る。