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富士山本門寺の歴史2

本因妙大本尊と大聖人正身の御影

日蓮大聖人文永10年癸酉2月御筆
紺紙金泥妙法蓮華経8巻

如来滅後五五百歳始観心本尊抄を著す為にこの紺紙金泥妙法蓮華経を一字一拝と云う魂魄を込めて編立てたと伝えられています。 この法華経に対して日蓮正宗大石寺第31世と云う日因師は『有師物語聴聞抄佳跡上』に「予ハ去ル延亨3丙寅年(0000)3月御朱印法改メの時、秋元但馬守別席に於て甲(駿の誤りか)州の禅家曹洞宗の僧録に対面す。大泉寺と号す。彼ノ 宗義此ノ宗旨ヲ談ス。(中略) 又吾祖ノ聖教多之ヲ有す。謂ク金泥、法華経(中略)御書多ク之有る。(中略) 寺に池有り富士見の池と称す。」とあり日因師が述る大泉寺は南主長寿院(小野寺左京と号す)重興の井出の士詠山大泉寺の事です。

日興上人御遺跡事

同笠 内側

日蓮大聖人御持用笠

弘安5年10月 日蓮大聖人の御遷化に当り大聖人御持用の笠を日目上人が給わり勅宣・御教書を賜るべくの東奔西走に常にこの笠を持用されたと伝う。
※(笠の内側に嘉永の頃修理の銘あり。)

大聖人滅後五五百歳 末法の遣使湧出の間の対象物

千福阿闍梨 蓮藏坊 日目上人 御影(本門寺藏)

日目上人が後醍醐天皇の天氣を受けて天下の泰平を想念し祈祷された御姿

日蓮大聖人の御遺言

園城寺申狀(本門寺藏)

日目上人の嘉暦の上表を後醍醐天皇の朝廷は天台宗寺門派の総本山園城寺(通称三井寺)にその内容に間違いが無いかを調べさせ無いとの答申を得たので後醍醐天皇に奏上された事に依って園城寺申狀と呼ばれる事になった。日興師は大石寺三ヶ重宝の一つと本状をして定めている。

上野の六人の老僧方 巡に守護し奉る可し 但し 本門寺建立の時は本堂に納め奉じる可し
此の条 日興上人の仰せに依って支配奉る事此の如し
此の旨に背き異を成し 義を失たらん輩者 永く大謗法成る可し
仍誡之狀件如し

現代解釈:
本門寺建立の時までは上野六人の老僧達が責任を以って守護し、建立の後は本門寺本堂に納め奉るべし。此の定めに背く者や、此の定めに異議を申し立てる者は大謗法であり永く門下から追放する。


篠梧文の紫小袖

後醍醐天皇 綸旨(大石寺三ヶ重宝・本門寺藏)

日目上人の嘉暦の申狀、通称(園城寺申狀)に対する後醍醐天皇の御意志(※天氣)(※左中弁)とは万里小路秀房であり、(※権律師御房)とは日目上人の事である。日興師は、この綸旨を大石寺三ヶ重宝の一つと指定している。

小松氏鑑定書

小松茂美氏 鑑定済 *小松茂美氏の詳細はこちら

追申候、紫小袖一送給候畢、尚目出度候、新春之御慶賀

「篠梧文の紫小袖」(本門寺藏)

大聖人に「諌暁八幡抄」に「紫衣」について「扶桑記」を引いて述べられています。本品は、八幡大菩薩の奉為に神宮寺に於て、「自ら法華経を講ず、我法音を聞かずして久しく、和尚に値遇して正義を聞くことを得たり兼ねて我が為に種々の功徳を修す、至誠随喜す何ぞ徳を謝するに足らん兼ねて我が所持の法衣を託宣の主自ら宝殿を開いて手から紫の袈裟を捧げ和尚に褒上す大悲力の故に納受を垂れ給え」日目上人滅後翌年、後醍醐天皇から二位法印に叙され国師に任じられ賜った紫小袖。
※(幕末に長寿院大泉寺重興の砌り現在の形に直すと伝わる)

追申候、紫小袖一送給候畢、尚目出度候、新春之御慶賀

宝寿丸 宗近 小太刀(本門寺藏)

後醍醐天皇の信任の証として宮中古事に則り賜った黒漆造小太刀。 ※「宗近」作

血脈相承図

血脈相承図_横
血脈相承図_縦